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伊 藤 信 吾 (理事長)
今、何故、司法改革なのか。
司法の分野に限らず、各方面にわたって規制緩和のかけ声のもと様々な制度改革が進ん
でおります。司法も例外ではありません。
いままでの司法は、あまりにも権威的であり市民が利用しやすいものとは言えませんでした。
市民側でも裁判所を積極的に利用するという発想はありませんでした。
敷居が高く、余程のことがなければ裁判所を訪れることなどありません。また、それほど裁
判所に期待することもなかったのではないかと思います。
裁判所の裁判官は、市民の生活とはかけ離れた生活をしております。例えば、裁判官が居
酒屋のカウンターで市民の輪の中で飲んでいる場面を見たことはないと思います。また、例え
ば、スポーツクラブ等で裁判官の友達が出来たなどということも聞いたことはありません。裁
判官は、市民と交流してはいけないという不文律があるようです。多くの裁判官は3年ごとに
頻繁な転勤があり、裁判所官舎に居住しております。
弁護士として裁判所で、裁判官と話をしておりますと、あまりにも常識がないと感じることが
あります。新聞報道されるようなことの知識がないとい意味ではありません。事件となってい
る業界の通常の感覚というのがないということです。例えば、業界によっては、契約書を作成
しないのが常態となっている業界もありますが、そういうことについての常識がないと思うこと
があります。
もっとも、それは、我々弁護士にも欠けているところかもしれません。
我々司法界にいるものは、どことなく、エリート意識というか、一市民より上だという認識が
拭いきれないのかもしれません。
1月25日 横浜弁護士会相模原支部の主催で、市内で初めての司法シンポジウムを開催
いたしました。弁護士は、長らく市民から遠い存在で、少し前までであれば、このような市民と
一緒のシンポジウムを開催するという発想はなかったと思います。
これからの社会は規制緩和の中で、多くの紛争や問題点が、司法の判断に委ねられる場
面が増えてくると思います。今回のシンポジウムはこのような社会の状況を踏まえ、裁判所を
もっと身近なものにするにはどうしたら良いかについて、弁護士、市民、行政代表者、学者等
を交えて、より身近な司法にするためにはどうしたら良いかについて熱心な討議が交わされま
した。
当日は150人程度の市民の参加を得ることができました。
前半では、「日独裁判官物語」という映画を見ていただきました。この映画は日弁連の有志
にて作成されたもので、日本の裁判官がいかに官僚的であり、世間から隔絶された生活をし
ているかを、ドイツの裁判所との対比の中で描いたものです。例えば、ドイツでは裁判所は市
民サービスのためにあるという観点が徹底しています。裁判所の立地も駅前等人の集まると
ころにしたり、裁判所の判断に市民参加の裁判官が関与したりしております。裁判も当事者
の了解がさればテレビ放映も可能です。また、待合室も大きくとられております。
これに対して、日本の裁判所は、立地も官庁街にあり、テレビ撮影も開廷前の数分のみで
す。とても市民のためのサービスという観点はありません。裁判所によっては、待合室もなく、
廊下に立って待つことも少なくありません。
後半のシンポジウムでは、横浜地方裁判所相模原支部で、いわゆる合議事件を裁判する
ことができない扱いになっていることについて、合議体制をとれるようにすべきであるというこ
とが大きなテーマになり、参加者の賛同を頂きました。
司法に生きるものは、法律に精通することは当然ですが、その法律を生きた形で運用でき
なければなりません。ある紛争について、法律は100対0ですが、我々の運用によってより
妥当な、それぞれの紛争当事者の関与や落ち度の程度を見抜いて、70対30なり60対40
なりの結論を導かなければなりません。司法が市民サービス機関として信頼を勝ち得るため
には、法律の冷たい運用にとどまらない、市民の常識からはずれないという信念が必要だと
思います。
裁判官や弁護士の増員が叫ばれておりますが、私は、数を増やすとともに、我々司法に携
わるものの意識が「社会正義」というような大それたものではなくとも、市民の立場にたつとい
う感覚が必要だと思っております。
今後も、このようなシンポジウムを開催して、多くの市民が利用しやすい司法にしていきたい
と思います。
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